2026-8-27
- 夏休み
『夏休み』
とてもいい言葉だ。
なにか熱いことが起こるんじゃないか…
夏はそんな気持ちにさせてくれる
今回も時間がある限りフルに活動していたので、旅の一部分を切り取って四国、滋賀のイイトコをご紹介させていただきます。
【 DAY 1 】 滋賀
滋賀はいいとこだ。
滋賀県=琵琶湖だけではない。 歴史や自然が好きなら間違いなくオススメしたい場所である。
最近お客さんがまた一人滋賀に行ってくれた。気に入ってくれたみたいで2ヶ月後に家族でも行ってくれた。県民として誉である。
しかし質問に答えられないことが多々あった。これはもっと滋賀を勉強するしかない!そう思った次第だ。今回は僕も初めて行った場所をいくつか紹介したい。
こんな言葉をご存知だろうか。
「三成に過ぎたるものが二つある。島の左近に、佐和山の城」
戦国の時代において、武勇もない三成にあてた皮肉混じりの世相の言葉である
地形的に要所の要となっていた佐和山城だが、井伊家の国宝彦根城や秀吉が築城した長浜城、浅井の小谷城と違い、ほぼ何も残っていないため地味な扱いを受けている佐和山城。僕自身も中々来ることがなかったが今回初めて入城してみることにした
無料の駐車場に車を停めると案内所がある
声をかけてくれた男性に話を聞くと無料でガイドもしてくれるという。
いつもなら気ままに歩き回ることを好むのだが、佐和山城は情報をほとんど持っていなかったので根掘り葉掘り教えてもらおうとガイドをお願いすることにした
よろしくデス❗️


三成様です 
かなり立派な門です
めっちゃ古いらしいです。聞いたけど忘れました…

お墓がいっぱい
佐和山城はこの寺院の土地らしいです
ここから山道が始まります。
舗装されてないのでハイヒール👠では来ないでください。だそうです
ガイドさんに続きます
途中から薄々気づいていたのですが
ガイドさんのハァハァ具合が尋常じゃないない。
少し歩いたら「ちょっと止まりましょう。はぁはぁ。あそこに見えるのが土塁です」っていう説明を繰り返しすぎてホントに土塁なのかも疑ってしまうぐらい土塁の説明ばかりです
止まる度に蚊に刺されて悶えるほどかゆいです
ここには櫓があったそうです。わたしには櫓の気配すら感じとれませんでした

ここは関所的な役割のものがあったらしい。
尾根づたいに歩いてきたココが一般的な山でいう峠や乗越の部分で、東側の中山道からの合流点となります。そのためここに関所があったんでしょう。
ちなみにこの佐和山の下を近江鉄道がトンネルで走っています。乗ったことないな。
今ブログを書くにあたって近江鉄道をマップで追ってたんですが、こんなところを通ってるんだなと初めて知りました。やっぱりものを書くというのは調べることをするから勉強になる
また蚊に食われました

ここもお待ちかねの土塁の跡です 
着きました! 
佐和山城本丸跡です。

この辺りが頂上でかなり開けており東の米原方面、西の彦根城、南の安土城、六角の観音寺城方面までよく見えます。
これが要所と言われた所以でしょう。
彦根城を上から見下ろせます 
米原駅近くに見えるあれはエレベーターのフジテックです。研究棟だと思います 


ガイドさんに案内され、逆側に下っていきます。
千貫井戸 と言われた、湧き水が滲み出ていた窪みだそうです
山頂から10mしか下ってないところの湧き水は濾過されてないんじゃないか?と聞きましたら無言で話を逸らされました。
しかし、山城で下から水を汲み上げることができない環境で本丸下に水を汲むとこがあるのはすごく重要な価値です。籠城の際も水さえあれば生きていけますし。
たまりはありませんでしたが、落ち葉がしっかり湿っていたので雨が降るとそこに溜まるんだと思います。今でも大雨が降ればちゃんと機能するんじゃないですかね
名前の由来は「千貫の価値がある井戸」からです

また違う所へ連れてってもらいます
さらに下って「女郎谷」
案内された場所は、それほど切れ落ちてる谷ではなく木が茂った普通の山の斜面くらいでしたが昔はもっと切れてたのかもしれません。
何日間も女衆のうめき声が聞こえたという話があるそうです。
では下ります

先ほどのお寺の境内
井伊直弼の母のお墓です
お富の方(彦根御前)と呼ばれていたそうです
一説にはお父さんは麹町出身らしいっす。とにかく綺麗で賢かったってWikiに書いてました
このなんだかわからない石碑も実はお墓です
新野左馬助親矩(にいの さまのすけ ちかのり)、新野家のお墓です
当時、井伊家は浜松にいましたが当主が死に今川にやられお家断絶の危機を新野さんが助けてくれたそうです。お墓ができた経緯は時代背景が複雑なので説明省きます
江戸時代から残ってるお墓です
ここでも蚊に食われました
地獄です



最後に、こちらが井伊家の菩提寺だそうです
さっきのが龍潭寺、こっちが清涼寺です
このお寺の中にあったのか、お寺ができる前にあったのか調べてないですが、島左近の住居がここにあったそうです今回ガイドをやってもらって本当に良かったなと思いました
古い墓だな。と思ってもそのまま素通りしたし、女郎谷もなんだここ?で終わってたと思うところを歴史背景を聞くと記憶に残る
何より佐和山城に関係ない彦根の町の歴史、いろんな質問をしても会話が続けられるのはガイドさんの知識があってこそだろう
定年して好きが講じてガイド職員を始めたそうだ
いつも佐和山にいるんじゃなくて、彦根の観光場を転々とするらしい
なんでガイドが無料で成り立っているのか疑問に思ったので聞いてみると、歴史的な城なので大河で三成が出ると沢山の人が来るそうで、ちゃんとした登山道だが、やぱっりヒールの靴できたり、怪我をする人が出て下れないという事案が増えたらしい
そこで彦根市から依頼を受けて案内という名のお客の管理を任せられているそうです。山小屋の役割と一緒ですね
下手に怪我して救急呼ばれるより事前に防ぐ方が効率的です数時間のお城めぐりだったけどほんと勉強になったな〜
みなさんもぜひ行ってみてくださいね〜
































