2022-4-19
- 110kmを歩いて
2022年4月5日
目標としていた箱根ー大手町『ひとり箱根駅伝』113kmを24時間で歩ききった。
どんなルートだったとか、どこで何があったとかの流れは、気が向いたらまた別のブログにまとめたいと思う。
今回は113km、24時間歩き続けるというはじめての試みで、自身が感じた事を記しておきたいと思う。
僕はこのチャレンジをすごく楽しみにしていた。
やったことのない、はじめて挑戦する100km越えの世界が僕自身の考え、身体にどんな影響を与えるのかを。
昔から『あしたのジョー』が好きで、
「ほんの瞬間にせよ、眩しいほど真っ赤に燃え上がるんだ。燃えカスなんか残りゃしない、真っ白な灰だけが残る」
この言葉が心の中に焼きついていて、その感覚を少しでも感じる事ができるのだろうか?ということも。
【楽しかったこと】
始発電車に乗り、3時間かけて電車とバスを乗り継いだ芦ノ湖までの道中。
やりきれるだろうかという不安と、どんな道が待っているだろうかという期待が交錯する中で、やってやるんだ!という思いに溢れていた時間。
快晴の青空、芦ノ湖から富士山が見え、希望に満ち溢れていた時間。
箱根湯元界隈の渓谷と、桜が舞い散る風景
【辛かったこと】辛かったから写真はない
箱根の下りで、歩道がなくて車に轢かれそうになること
湯元で観光客が楽しそうにしてたこと
小田原から、ただの国道になったこと
時折出てくる『日本橋まで〜km』が絶望を感じさせること
平塚で足が痛くて路上に座ってたら、すげー見られたこと
平塚で既に飽きてるのに、あと70kmという絶望感
疲れて歩道橋の下に座り込んでいるときの消失感
痛みが出たので、ロキソニン飲んだら胸焼けがして胃酸がでまくって胸焼けがすごかったこと
肝心な時にトイレ貸してくれるコンビニがなかったこと
保土ヶ谷バイパスのほぼ車道を歩く怖さ
保土ヶ谷バイパスが途中歩行者禁止になり、遠まりさせるという拷問をくらったこと
保土ヶ谷バイパスに横断歩道がなく、ほとんどが歩道橋で下半身に衝撃をくらわす拷問をくらったこと
保土ヶ谷バイパスで歩行者通路を工事していて、やたらと迂回させられたこと
朝方、マジでう○こがヤバかった大田区界隈
その他、ほとんど…【クリアするためにやったこと】
まめなストレッチ
事前に全身に保護クリームを塗って、摩擦を抑えたこと
20km毎に、BCAA(アミノ酸)を補充したこと(多分効果あった)
40km毎に靴下を交換し、皮膚の蒸れを抑えたこと
坂道でも、疲れてもペースを落とさないこと
10分以上は足を休めないこと
「オレはやれる。オレはやれる。」「絶対負けない」「絶対大手町まで帰る!」と何度も復唱したこと
やりたいという気持ちの線が切れている状態から、やらなくてはいけないという気持ちに振れさせするための、心の駆引をすること
できなかった時、あきらめた時のデメリットを洗い出すこと
達成するという当初の目的を絶対見失わないこと
【ゴールして感じたこと】
コレを答えにしたくはないが、自分自身が想像していたような感動を実感できず、憧れていた「真っ白な灰だけが残る」ような状態にはなっていなかった
ただ「やっと着いた」、「やっと終われる」といった呪縛から解放されたような気持ちになった
誰かが見ているわけでも、誰かがゴールで待っているでもない、ひとりで歩くというのは、それはそれは静かに終わっていくものだった
本当に動けなくなるほど精も魂も尽き果てるには、そのままUターンしてもう24時間歩きっぱなしで肉体的にボロボロにし、エネルギーを完全に消費しハンガーノック状態にすればかなり近い状態を味わえると思う
登山をはじめて4年ぐらいの時、はじめて南アルプスにテント泊で挑戦し、自分の筋肉や食事の必要性を理解していなかった時、ザックの重量と下りで6時間近く膝、腿に負荷をかけつづけたら、途中から足がタコみたいに筋肉がはいらなくなり、木にもたれかからないと歩けない状態になった
翌日、濃茶の尿がでた。ケトン尿というらしい
以前マラソンの大迫選手が言っていたが、「ゴールで倒れ込むのは演出ですよ」と。
確かに、ゴールに仲間が迎えにきていれば、抱きつき気力の線は切れてしまうだろうが、僕のようにひとりの場合は、山でも道でも、家に帰るまでがゴールだから、家の玄関をあけるまでは気力をキープしなくてはならないのだ
確かにあの日は、玄関に荷物を置いて倒れ込んだら寝ていたっけ。(そのあと宮沢湖温泉の炭酸風呂いったけど)
振り返ってみて、一番限界を感じていたのは80km〜100km界隈の川崎界隈だったと思う。
スタートから18時間くらい、深夜2時、3時だったが、その日起きてからは丸々24時間経過している頃だ。
信号待ちでストレッチしていたら完全に寝落ちするというのが、何回もあった。
終わってから、何人かの方に「やっぱり坂道はこたえますか?」と聞かれたが、坂道は思っているような負担はなく、歩行技術でカバーできるが、階段ののような段差は衝撃がくるため中々つらいものがあった。
誰も見ていない、誰も応援していないとは書いたが、挑戦するということを伝えていたお客さん、僕のFacebookを見てくれている方には、「ありがとう」を言わせてください
あんだけ言ってたのにできなかった、あきらめた。と思われるのは避けたい。出来なかったら言い訳にしかならないと、告知してプレッシャーをかけていました。
おかげで無事歩ききることができました
【ゴールしてからの体の異常】
翌日から下半身が終わっていた。膝を曲げることができず段差は手すりが必要不可欠だった。
四日目くらいから普通に歩けるっぽくなったが、連続した歩行で突然痛みが走ることが10日ほど続いたが、13日たったいまはそれも治った。
一番ツラいのは下腹部の張りだ。腹部膨満感というのだろうか、はじめの一週間は下腹部がパンパンに膨らみ圧迫で痛くてしょうがなかった。
夜になり横になってお腹のガス抜きのポーズなどすると楽になったが、立ち仕事で1日いると夕方はまたパンパンになっていた。
心配になり、内科でCTを撮ってもらったら内臓に詰まりはないが、確かにガスが満帆に溜まってる、腸の活動が弱く水分も流動していないと言われた。
整腸剤を一週間飲んだが効果が実感できず、昨日から漢方治療をしている。桂枝加芍薬湯と大建中湯、腸の運動を促す漢方で様子をみようと思う
昨日から飲み始めたが、1日に何度かあった内側からの圧痛も今日は一回しか感じていない。効果が出ているといいが
ここ数日気温が低い日が続いたので、下腹部にストレスがかかっていたのも原因かもしれない
フルマラソンの選手も、長時間の揺れから内臓の負荷を感じる方が多いそうだが、歩きとはいえ24時間内臓を休ませないのは、きっと内臓にものすごいストレスを与えていたんだと思う
歩いた結果として、現状このような症状を引き起こしているわけだが、これもまたやってみてはじめてわかった症状なので、これらに対処するにはどのようなサポートの仕方がベストなのかを考察していきたいと思う
とにかく健康には良くないということが実感できた
【最後に】
世の中にはウルトラマラソンや、耐久レースといわれる大会がいくつか存在する
それらの中でも、日本で最も過酷なのがTJAR(トランスジャパンアルプスレース)だと認識している
日本海、魚津から北アルプス、中央アルプス、南アルプスを全て駆け抜け、静岡市の大浜海岸、太平洋まで下ってくるという総距離415kmを8日以内にゴールするというとんでもないレースだ
今回100kmを越える距離を歩き、24時間行動しつづけたことで、これらのレースの片鱗くらいには触れられたと思うが、過酷なレース勝ち抜いていった、選ばれし選手たちを奮い立たせるものはなんなのだろうか。
このレベルの競技は、人生をかけないと成し得ないと思う。
仕事の傍らで挑戦できるような甘いものじゃないはずだ
今週末、金曜日ー日曜日。UTMF(ウルトラトレイル・マウントフジ)が開催される
これもまた168km(100マイル)富士山の外周を46時間で駆け抜けるとんでもないレースだ
世の中には色んな人がいる
色んな夢を追いかけてる
そこまでは行けないかもしれないが、いくつになっても可能性をもって生きていたいと思う
最後まで見ていただき、ありがとうございました。
感謝
2022/11/30
YouTube動画が完成したのでアップしました
【ひとり箱根駅伝】箱根から大手町まで、112km、24時間の歩き旅