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茨城と福島の旅【 中編 】

2024-4-24

  • 茨城と福島の旅【 中編 】
  • 茨城と福島の旅 二日目

    今日は福島 須賀川市から東を目指して南相馬市を目指すところからスタート

    地方といえど朝の渋滞は混むため早めの出発。6時過ぎに移動を始めた

    渋滞もなくスムーズなドライビング
    今日は随分と雨が降ってる。

    バシバシと窓にあたる雨音と、タイヤから伝わる水飛沫の音が車内に響く

    須賀川から南相馬まで110km

    地図で言うとこのあたり。はじめて通る道、はじめて行く場所。
    なんとなく通った道をなぞってみたがここの道は中々すごい。縮尺を広角にしてると見えなかったがうねりやカーブの連続プラス高低差のあるアップダウンが永遠続く。道路自体はキレイに舗装されていて走りやすいが真剣に走らないと田んぼに落ちちゃう。でもドライブ好きには結構いい道路だと思う

    ほとんど限界集落みたいなところが多いけど、山間ながらこの田村市というのはギュッと店舗、施設、民家が集約された町だった

    ここで半分きたかな?ってくらい
    葛尾村はTOKIOのダッシュ村で田んぼ作ってる場所らしい

    そして、うちの木幡のお父様の実家らしい。プチ情報でやんす
    ここが葛尾村中心部
    そこを抜けてさらに北東へ進む
    二車線だった道路は1車線へ変わった。長野と埼玉を結ぶ国道299の山間部の道と似ている。対向車きたらフルバック。絶対したくない…

    1車線だけど徳島の国道439号より全然キレイな道だ。色んな兼ね合いで予算が出てるんだろう
    右側はそれなりに水量のある沢が流れてる。ほんとに299号にそっくり
    相馬に抜ける分岐点の近くにダム湖があった。近くに行けるとこはないかと逆方向に寄り道
    そばに管理棟がある空き地があったので何枚か写真を撮った
    ここでやっとセコマのナポリタンを食べる。すごくうまい。口のまわりをケチャップだらけにして食べる。ゴミ袋に入れたけど助手席からはナポリタンの香りが漂ってくる。
    ずっと一緒だよ、セイコーマート。
    ずっと濃霧。走りづらいけど雰囲気出ていい
    南相馬の町におりてきた
    あとは一直線。海岸沿いを目指す
    海っぺりまできた。
    ここはとても低い防波堤。数年前に行った岩手の宮古などで見た堤防?は壁のようにそびえ立ってたけど、ここはそういう政策じゃないんだな
    なんとなくナビでこのへんをさしといたけど目的の場所と違ったみたい。Googleで検索するともう少し南だった
    両側なにもない道を走る

    着いた。『かしまの一本松』
    震災後によくテレビに映ってた、あの津波でも流されず一本残った強さと希望の象徴

    どこにあるんだろうと辺りを見渡しても大きい松の木が見えない

    引き継がれてたーーー!

    ちゃんと読んでなくて引き継ぐの意味がわかんなかったけど、本人いなくなってたー

    こんな感じでたくさんの子孫たちを増やしているそうです
    あたりは見渡すほどの平地で同じような松の植林地が広がっていた

    次の目的地は津波でほとんどが流された小学校跡

    国道ではなく、できる限り海の近くを走りどんな場所なのかを知っていきたいと思う

    少し高台にある工業地帯は稼働しているんだ
    海抜の低いところはなにも建ってない
    なにもない原野に電線だけはずっと引かれてる

    そんな場所に、ここ 請戸(うけど)小学校はある

    震災の津波は二階ベランダまで迫っていたそうだ
    残念ながら今日は休館日らしく中に入ることはできなかった。
    当事者ではないが、思うところはある

    人生の中で2度大地震は経験した。1度目は阪神淡路大震災。滋賀県北部でも結構な揺れで明け方目覚めたのを小学生の記憶ながら覚えている。特別な被害は家にはなかったが。
    2度目はこの東日本大震災だ。ここふじみ野で仕事中に大きな揺れがきた。お客さんと一緒にただ揺れるのを待った。なにをした訳でも、逃げるわけでもなく、ただ待った。スマホもテレビもラジオもなかったから何もわからなかった。電気もつかないからと暗くなった時に店を閉めて帰宅した。信号は消え、どこの店舗も暗いままだった。奥さんとも連絡はつかないままだったが何故か不安ではなかった。
    家についたら電気はついた。ちょっとしたものは倒れてたけど被害はない。テレビをつけたらすごい映像が流れてた。鳴り響くサイレンと共にたくさんの人が逃げている映像。波が全てを飲み込んでいく映像。ほんとにこの日本で起きているとは思えない映像で全く実感としては湧かなかった。まるで他人事のように見ていた自分の気持ちを覚えてる。
    翌日になって色んなことがわかってきて、この東日本の現状が一変したことが少しずつ実感に変わっていった。結構そういう人が多いんじゃないかなと思う。


    数年前に宮古や釜石地区にも行った。そして今回福島に来たが、感情が溢れるようなことはなかった。テレビでの映像、ドキュメンタリー作品は直接当事者たちを写している。それを見て色んなことを想像して涙していたが、被災から十数年経ったこの場所の風景を見ただけの心情を表すというのであれば「こんな感じなんだな〜」である。
    多分この原野にはもっと民家が立ってたんだと思う。色んなものが形を消したんだと思う。でも今は新しいものが新しい形で生まれてきている。そこに住んでる人も辛く大変な思いをしているのは理解できるが、表向きはみんなしっかりと前を向いてる。だから生活ができているし、この町には人がいて動く力がある。
    町を作るというのはお金も時間もかかる。一瞬にしてなくなった町は、ただ無くなったんじゃない。色んなものを飲み込んで覆い尽くしたというなくなりかたは、ただの更地から町づくりをするのとは訳が違う。住んでいる、住んでいた沢山の人の思いを気遣いながら造らなければならない。簡単じゃないけどここまできてる。素晴らしいことだ。
    当時テレビで東北の被災地の方が「特別扱いしないでくれ。同じように生きているから。前を向いてるから」と言ってた。そうだなと強く思った。

    いつだって、どこだって何が起こるかはわからない。こんな大きな震災じゃなくたって、人の身には色んなことが降りかかる。ただ今生きてることは当たり前じゃないと思わせるには充分すぎる出来事だったことには違いない。申し訳ないともそんなに思っていないが、ここ東北の被災地に行って炊き出しをしたこともボランティアに行ったこともない。ただこの埼玉の地にいるが、皆さんの経験を色々見たり聞いたり、直接足を運んで町を見て知識と勇気をとんでもなく沢山もらってる。そして今までと同じようにいつもどおりの生活をしている。普通に生活できる人はいつもと同じように同じリズムで生きていることがお互いいいんじゃないだろうかと思ったりする

    とてもこんな数行で思っていることはまとめることはできないが、そんな気持ちを少し言葉として残しておきたかった
    ご飯を食べるとこがないのでセコマの菓子を食べる。今回の旅はずっとそばにセコマがいる。ありがとう北海道❤️ごめん福島。まだ1円も使ってない。
    少し海沿いを南下すると通行止めの看板。この先は福島第一原発の避難区域になり、これ以上は一般車は入れないようだ
    国道近くに移動すると道路は広く、とても綺麗に舗装されている
    あたりにはプレハブのような建物やおしゃれな宿泊施設。工事関係者や復興関係の方が滞在する施設が多数見受けられた



    運転中、福島のパイセンから「浪江の道の駅行った?」とLINEが入ったので5、6kmバックだが行ってみた。
    できたばかりなのかとてもキレイな道の駅
    無印も併設。

    ついこないだ安芸高田市で道の駅併設の無印良品との連携協定が頓挫したニュースが出ていたが、ここはうまく誘致したようだ

    無印良品と市との連携での成果はまだ調べたことがないが、安芸高田市長のいうような世界への地域物産の輸出まで持っていければすごいことだと思う。
    トイレもキレイ
    なんか色々売ってる
    ここで飯をしっかり食わねば当分ない気がするのでフードコートへ

    なみえ焼きそば!

    聞いたことある。よくB級グルメで出てた。富士宮とか色々焼きそばとか唐揚げばっかじゃねーか!と思ってるけど

    海鮮丼!
    海も近いし海鮮か!とはならない…

    これだろ、これ!
    手揉の熟成多加水太縮れ麺!!

    いっちゃん好きなやつ!加水された太めのちぢれ麺
    ツルツルの平打ちがめっちゃ好きやねん!

    発券して窓際のカウンターに座る。

    するとリュックを背負った女性も隣の席に座る…

    何故?

    こんなに席空いてんのに?カウンター他にも空いてんのに?
    女性が隣に来るのは嫌ではない。が逆に怖くて顔も見れなかった。目を合わしたらツーフィンガーで目潰しでも喰らうんじゃないかと

    着丼。

    満腹少年になりたかったのでカレーセットにした

    いただきます🙏

    嗚呼うまい。麺がうまい。スープもうまい。けどもうちょっとコクも欲しい。でもうまい。

    いつも一瞬気になるけど調べたこともないラーメン器の吉2つで韓国の韓みたいなこの文字どういう意味なんだろ?中国人の被ってる帽子にもそういう文字描かれてるよな〜

    ちょっと違ったわ…

    今から国道6号を南下して茨城にいく

    ここ浪江から双葉町、大熊町、富岡町を抜けて

    浪江ではそんなに感じなかったが、双葉町、大熊町、富岡町は国道を走っているだけで人がいなくなった跡だけが残っているのがわかる

    突然避難区域になり壊すこともできずそのまま風化していった建物が沢山残ってる。


    原発だけが悪い訳じゃない。それはとても必要な技術だと思う。この町の人達もきっと恩恵は受けていたはずだ。何も起きなければ。
    ここは震災の爪痕という括りではなく、現代の人間社会の充実と自然の力のあいだに弊害を生んだ例として、この先も世界が注目し続けるモデルケースとしてとても重要な場所だと思う

    他人事のようにと思われるかもしれないが、他人なのです。いつ同じ思いをするかわからない他人なのです。

    震災や原発について考え触れることは様々な答えがあるため正解はないと思う。ただ一個人としてそう思ってるという答えとして受け止めていただければ幸いです。差別なんてしませんがそう捉えられてしまったなら申し訳ないです。
    ただ何かが起きたからこそ、また何かを起こしているというアクションの連続で世界も日本もここまできたのだという現実だけは変わらないと思っています。

    多分いわき市に入った
    そしていわき市めっちゃ広い。6号沿いしか走ってないけど街としてかなり大きいわ
    なんの建物なんだろ〜。めっちゃボロい。あとで調べてみよ
    日立来ちゃったー!

    茨城戻ってきたーーー!

    海の橋こわいーーーーーい!
    ここが日立製作所の本拠地なのかな?

    めちゃ工業地帯化しとる

    そして、第二目的地はここ

    湯楽の里 ひたち店

    WEBで見た露天風呂の写真。
    実際はドス黒い曇り空と灰色の海、冷たい雨が打ちつけるお風呂でした…

    でも最高のサッパリできた〜

    茨城といえば『ばんどう太郎』
    大洗はじめてきた!みんなこっからフェリーで苫小牧までいってるんだなー。マイカーでいつかいってみたいなー
    ついに!はじめて!霞ヶ浦を通過するぞー
    茨城県の方には申し訳ないが日本一の湖は滋賀県 琵琶湖である

    申し訳ない。二位との差は大差での圧勝でござる
    やっぱり湖と夕陽のコラボは最高だ
    今日の最終目的地は筑波

    あともう少しだ
    オール一般道を走ったが、こいつに乗って16年。過去1の燃費を叩き出した
    リッター10.8kmくらいいけたと思う

    ちなみに通勤時は7kmがマックス(最近の車とは大違いだ)
    すっかり陽も暮れた20時過ぎ。本当は筑波の街で一杯ひかけようと考えていたが、明日も朝早いし体力を使うからアルコールは控えた

    そして今夜は道の駅 しもつま
    飯も食べないつもりだったが昼から口にしてないので、浪江の道の駅で買ったどら焼きを食べる
    あしたの行動食用に買ったパンも食べちゃう!

    昨日はあたたかいところで寝かせてもらったが今日はちゃんと車中泊

    銀マットに寝袋

    今日も長い長い一日がおわる

    明日は4時ごろ起きようか

    お天道様には負けてられん


    おやすみなさい💤

    明日の予報は完全な晴れ☀️

    ガッチリ決め込んでやるぜ❗️

    次回作は『 信仰の山 筑波山 』というタイトルでお届けします

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