2019-12-1
- 僕の話
夏ごろに、依頼があったので、修行時代のFacebookグループにて、『山を登って感じた事』というテーマで一文書きました。
どこかのタイミングでまとめようと思っていた事だったので、ありのままを書き連ねました。
これは、お客様に見せるべきではないかもしれませんが、ありのまま、ホントに思っている事を綴っています。
言葉と行動が伴ってないと思われる方もいらっしゃるかもしれません。
良くも悪くも、こんな事を考えている人間だ。という事だけ伝えられればと思います以下本文
自分の登山で感じた事、得たこと、人との出逢いなどFacebookに記したりしていますが、自らの記録であり、人様に訴えるなんて大それた事ではございませんが、暇つぶしにでもしていただければ幸いです。
今年で37歳になりました。
15歳から23歳までヘアサロン髪ingにお世話になりました。(理容の世界チャンピオン 田中トシオのサロンです。僕の修行先です)
山をはじめて感じていることを記します。
髪ingを退社して十数年、同期の尾崎くんの店でせっせこと働かせてもらっていますが、修行時代と違い、自分自身の時間を作る事が出来ました。
ずっと箱の中の理容人生でしたが、2010年にはじめて自分から山に登り、現在も飽きずに山に行っております。
なぜ自然の遊びなんか興味がなかった人間が、一発で山に引き込まれた魅力ってなんなのか?
よく「山って何が楽しいんですか?」
「なんの為にしんどい思いして登るんですか?」
「大変ですよね?」
って、よく聞かれます。
大変だからおもしろくって、奥深いから続けられるんだと思います。
みなさんも仕事に対してそういう思いですよね。
出来ないことをひとつずつ覚えてって、少しづつ成長して、今度は人に教えるってなって、また技術を見直して理解し直して、伝える事の難しさを感じたり、人に動いてもらう難しさを感じたり、人に喜んでもらうにはを考えたり、新しいことを覚えたり考えたり、ひとりひとりのお客さんの事を考えたりと、毎日考えることは変わっていき面白いです。
話を戻すと、
『山の魅力ってなんですか?』
勿論ひとりひとり違うんですが、
僕は『ひとつひとつ出来るようになる』と『自己責任』を背負っている事が好きです。
仕事で感じている感覚とそれは同じですね。
衣食住をバックパックに全て詰め込んで行き、その山行を成功させるためのプロセスが楽しいのです。
『景色を撮る』事を目的としてはいるのですが、『怪我なく生きている』が大前提です。
『怪我なく生きている』は、『ひとつひとつできるようになる』の結果です。
『自己責任』は、山を歩くこと全てに対してのリスクマネジメントです。
ひとりでいく山は、『自分を知る』事ができます。
自分しかいないので、自身と対話するしかないのです。
一歩一歩感じる事で、全身の筋肉の感覚を感じ、心肺への負荷のかかり方も感じます。
足の置き方、置く場所、歩幅、腿のあげ方。
ザックと体のバランス、腰の支えかた、腕の振り方、手の使い方。
自分の体の不安定な部分、骨のバランス、長時間歩行時の体の痛み。などなど疑問になって工夫し、改善していくことが多々あります。
おかげさまで、低い山からはじまった登山も、今では3000m峰をテント泊装備+カメラ機材=25kgを背負って歩けるようになりました。
歩みは遅いですけどね。
『怪我なく生きる』『自己責任』を肝に命じているのは、これを破ることは趣味の範疇を超えた事だと考えているからです。
そもそも趣味で勝手にやっているだけなので、会社はノータッチです。
そんな環境で、ケガした、骨を折った。などは迷惑です。
指の先をカミソリで切っただけでも仕事の効率が著しく低下するのに、僕らの仕事で骨を折ったら役立たずになるのは誰でも予想がつきます。
山での事故は、自己管理責任を問われます。
あくまでお金をいただいて生活ができているのは、五体満足で出来ている仕事があるからだということは忘れてはいけません。
昨今、無謀な装備での登山で救助要請を頼む方が増え問題になっています。
自然が相手なので、絶対に大丈夫!という事はないけども、絶対に大丈夫!といえるくらいのリスク対処をした行動をとらないと、人様に多大な迷惑をかけることも間違いありません。
ひとつひとつ自分の課題をクリアしていくと、新しい山の過ごし方が見えてきます。
何度も行っている南アルプスは、頂上を目指す登山だけではなく、その山域全体の魅力を自分なりに探すために、様々なルートを歩いたり、季節によって変わっていく山、空、森の色を見ています。
春、稜線ではまだまだ真っ白な雪が残っているアルプスも、登山口付近では小さな花が咲き始め、やわらかな光をとおす若葉が生れます。高度をあげるにつれて、どんどんと景色が変わるこの季節。土と雪が合わさった道から真っ白な世界。アイゼンを差し込む締まった雪の感覚も春山の魅力でした。
それが過ぎると雨が増え、稜線の雪は解けだし沢の水かさは増します。水を得た森はどんどん緑が増していきます。
夏、夏空は好きです。モクモクと大きくわいてくる雲、水色の空、元気に陽を見る高山植物。晴れた日の夏の稜線歩きは幸せでしかないです。沢山のハイカーが山を訪れるこの季節、みんなが声を掛け合って元気がでます。
秋、夏が過ぎ、また静かな山の姿になります。日が昇るのも遅くなり、真っ白に見えた岩肌も張り付いた植物が色づいて秋の装いに変わります。沈む太陽に染まる色づいた山容の美しさも、この季節の魅力です。
冬、1~3月、厳冬期はひとりではリスクがあるので思案中です(笑)
もちろん楽しいことばかりではないです。
鬱蒼とした森は嫌いですし、真っ暗な森も怖くて仕方ありません。
ただそれ以上に、その道を歩いてみたい。そこから見える景色を見てみたい。が勝つから勇気をもって行ってるだけです。今はお化けとか暗闇、静寂に負けない精神力をつけることが目標です(怖いけど)
今の僕はこんな感じで山を楽しんでいますが、また少しづつ見える世界が変わっていくかもしれません。
山にも色んな方がいます。
ハットリくんのように野山を駆け巡るトレイルランナー
危険な岩壁をのぼっていくクライマー
ひたすら高山植物を撮る山ガールに苔マニアのモスガール
地形図を片手に、道なき道をいく『藪やさん』といわれる変態
大きい虫取り網をもって小さな虫を探し回る『虫やさん』
深い山奥まではいり、沢に降りて渓流釣りをする人
沢を登るシャワークライミング
山々の写真を撮る人
純粋に頂上だけを目指す人
ひとりで登る人、仲間と登る人、沢山のグループで登る人
みんなみんなスタイルは違うけど、同じ山でつながっている人たち
そして、みんな『挑戦』している人たちです。
小さな子供が泣きながら登っていることもあります。
ゆっくり、ほんとにゆっくりと登っているおじいちゃんもいます。
頂上で泣きながら握手して泣いているおばあちゃんもいました。「ありがとう。ありがとう。」ってずっと言っていたのを覚えています。思い出したら涙がでてきました。
何を思って登っているのか、何を背負って登っているのか。
色んな思いでのぼっているであろう人たち。みんな前を向いているのは間違いないと思います。
そして『生きている』って実感しているとおもいます。
段々とのってきたのでこのまま書きます!
さっきのおばあちゃんの涙のシーン思い出したら、色んな山での苦労シーン思い出して本気で泣いちゃいました(笑)三回鼻かんだ
6年前、はじめて南アルプス『北岳』(日本で二番目に高い山)に登った時、朝陽が昇る前に頂上に登りました。どんどん朝日が顔を出し、照らされる北岳の影がドンドンと大きくなり富士山のような形になったのです。
その姿をみて、一番でも二番でもない僕は、一番も二番も関係ない、みんな頑張って生きているんだ!悔いが残らないように一生懸命生きようって誓いました。
そして自分の生きている価値観を、自分に問うようになりました。
以来、毎年一回か二回この山に登って自分と向き合うことがあります
【締めどころがわからないのでこの辺でまとめ】
日本一の富士山はみんな知ってるけど、二番の北岳はほとんど知られていない。でも、本当に美しい山です。
山をはじめて8年ほどですが、自然とは全く無縁だった僕が、ここまで深くはいれたのは『生きる』という力を養えることがかなり大きなことでした。
被害は少なかったが東日本大震災をうけ、混乱する世の中に。せっかく建てた家が半壊、崩壊。避難所生活と、自然の驚異に突然たくさんの人たちの生活が一変していました。
そんな時アウトドアの知識が、自分のため、身内の事ため、近くにいる人たちの少しでも役に立つことができ、落ち着いて行動できる人間になりたいです。
人は、人の助けなしでは生きられないと思います。
そして自分自身が幸せを感じていないと、人に幸せは与えられないと思います。
「自分のこと大切にして、誰かのこと、そっと思うみたいに」って小田和正も言ってました。
幸せはお金が必要ですが、大金持ちじゃなくてもいいんです。すごい高級車が欲しいわけでも広い家が欲しい訳でもないんです
自分自信を好きでいられる余裕は必要だと思っています。
実際は、お金を持ってた方が役に立つんですけどね笑
自分自身が好きでいられるよう、自分自身の心が苦しまないようにする僕の勝手な持論があります。
【人は皆自分勝手な生き物だと思う事。】
人に言われて嫌だったこと、やられてイヤだったこと。そんなことで心がちょっと乱れたりすることがすごい嫌で、でもそれは相手にとっては些細なことで嫌な思いさせてるなんて全く思ってなかったりします。でも、同じことをきっと僕もやってるんです。嫌な思いさせられたのは自分だけじゃなくて、僕も誰かを気づかないところで傷つけてるんです。だから誰が悪いわけじゃない、自分も悪いんだからで解決させさせるようにしています。
【自分自身の生きる価値感を見出だす自分勝手な考え】
僕はチャンピオンでも、有名人でもありません。僕の目にはいっていない人にまで影響を与えることはできないと思っています。
しかし、僕が担当するお客さん、お店にきてくれるお客さん。一緒に遊んだ人。かかわった人は喜んでもらえるよう一生懸命努力をします。
言い方はわるいですが、お客様の髪型は僕の作品です。家族もみます、会社でも見られます。そしてお客様が毎日気持ちよく過ごせるかもかかっています。
たくさんの職種の方が、いろんな現場で活躍されている。その頑張りは僕の力も加わっている。
これが僕の自分自身の心の支えかたです。
自分勝手ですよね。
【臆病であること】
何年やってても、新規の方は緊張しますし、他のスタッフがやっているお客様にはいるのも緊張します。いつも担当しているお客さんの表情でも気になります。
前回の技術者より満足な思いをさせられなかったらどうしようという不安です。
でも一生懸命やるので、いまでもシャンプーを褒めてもらえます。マッサージも褒めてもらえます。
お客様にに喜んでもらいたいという思いもあるが、お客様にダメだと思われたくないから一生懸命やっている情けない心もあります。
それでもダメな時はダメですけどね。
【自分勝手な失客対処法】
失客はとても心が苦しいです。
毎月来店している方が一週間ズレただけで心配になる時もあります。
何年も来てくれていた方が、突然来なくなると、最後の来店のシチュエーションを振り返り、あん時の受け答えがとか、カットが。会話が。店舗の音楽がとか色々考えます。
ひとしきり考えたら、明確そうな理由がない限り、結局本人しか答えはわからないので、一旦なんかしらの相手の理由で失客させます。
酒好き、不摂生系の人は病気にさせて入院させます。
子供が生まれた方なら生活環境がかわった事にします。
あとは転勤、引っ越しです。
こうする事で、ならしょうがない。と自分の心を落ち着かせます。
そして、もしその方が再来店された時には、再来店した喜びを味わえる事ができるというビックな特典がついてきます。
【最近すごく納得した事】
『やらぬ善より、やる偽善』
修行時代の先輩が台風の被害を受けた場所にボランティアに行ってる事をSNSあげて、上の言葉を書いてました。
その言葉を見るまでずっと、モヤモヤしていまいた。
人は損得なしにボランティアや人助けをいているのだろうか?
情けないと思われるかもしれないが、人助けをすれば『いいことしたな〜』と自分で思うし、「ありがとう」をいわれなかったら、なんで?と思ってしまうでしょう。
ボランティアなんて行こうもんなら、「こないだボランティア行ってきて〜」とお客さんのトークにバンバン使うと思う。
この時点で僕には損得勘定が生まれているため、与えるだけのボランティアにはなれていないのです。
そんな考えのため、自分自身の善を疑ってましたが、『やらぬ善より、やる偽善』という言葉をみて、偽善のつもりはないが、『なにかをやる。』という事は、どんな裏心があろうが『やらない』事よりもずっとずっといいじゃないか。と思えるようになりました。
最後になりますが、今の僕があるのは間違いなく髪ing(修行先)という環境に出会えたことと、この人生の中で沢山のお客様や色んな方に出会えたからです。学校や友人、先生は好きだったが、何に打ち込むでもない自分自身に無駄と感じていた中学生活を卒業して、田舎出の子供を東京で働かせていただいたこと、同じような境遇のみんなが一生懸命頑張っていること、考えるという能力をつけてくれたこと、行動するという気持ちをつけてくれたこと、自信をもってお金がもらえる技術の基礎を教えていただいたこと、自分の無力さを教えてくれたこと。
沢山のお客さんは、僕の知識の元であり、生きる刺激です。
出会った人すべてが財産です。
いいこと書きましたが、本音です。
今までも、沢山の人のお世話になり、特別贔屓にかわいがっていただいた事もありました。
恩を仇で返してはいませんが、恩を返せないままの方はいっぱいいます。
情け無い事です。
自分の感情が動くことしかやらないような人間ですが、これからも陰ながらみなさんに刺激をいただいて生きていきます。
現在、世の中の働き方は変わってきました。
週休二日が当たり前になり、有給消化も義務付けられました。
この先、まだまだ働き方も変わるし、生活のスタイル、人の考え方も変わっていきます
情報が溢れ、自分に必要な事しか脳にいれないようなこの頃ですが、『知りたい』気持ちを無くさない事が生きていくうえで必須だと思います。
生き方の正解は分からないけど、死ぬまで社会とつながって生きられる世の中になるといいと思っています
一方通行の駄文を最後までお読みいただきありがとうございました。
この1ヶ月、ブログ10作を課題としてやってきました。
今回が最終章です。
長い長い文章を、最後まで目をとおしていただき感謝します。
当分の間、長いブログはお休みいただきます。