2019-9-2
- 北海道ひとり旅
今回はよくありそうなブログの綴り方に挑戦してみました。
ヨロシクおねがいします。
なかなか明けない梅雨が去ったと思ったら、連日の猛暑。
あついあつい夏はいつまで続くんだと思ったら、曇り空、悪天候ばっかりのお盆シーズン。
過ぎてみれば、もう8月も終わりである。
世の中のお盆明け。クローバーもお休みをいただき、僕は誰とも休みが合わないので、安定の『ひとり旅』に出かけた
舞台は相も変わらず北海道。
休みが決まったときから、マイルで便は確保しておいたのだ。
今回は一人なので、天候の向くままに移動しようと思い、宿も一切とらない車中泊スタイルでの旅にした。
8月という事もあり、マイルで席を確保するも直行便がとれず、一番早く着く便が富山経由の千歳空港行きになってしまった。
富山行きーの 千歳つきーの 着いて車を借りれたのが午後2時。随分と遅くなってしまった。
連休が近づくにつれて天気予報をチェッしていたが、どうやら晴れ間があるのはこの日だけだったため、どうにか西に向かい夕陽をみようと思った。
もうひとつの目的として、オロロン鳥の繁殖地として有名な『天売島』という島があり、フェリーターミナルがある『羽幌』という町がある。
ここが天売島 そこで夕陽をみよう。が1日目の課題とした。
そして翌朝はフェリーで島に渡ろう。
盆を過ぎれば、4時頃には陽が傾きだす。
留萌湾 夕陽が綺麗な留萌は黄金岬という輝く海が見える 陽が沈む間際より、日没1時間前位がおススメだろうか 日本海側、留萌を経由して通称オロロンラインと呼ばれる海岸沿いの国道を走る
オロロンライン
海鳥が飛びまくっているあと数キロで羽幌というところまで来たので、どこか海岸に行けそうなところを探りながら走ると結構あるもので、砂利道の車一台抜けれる坂道を登ると材木置き場があった。
水平線に雲が溜まっているので、これ以上沈んだら今日は終わり ここからは天売島、焼尻島が良く見える どうゆう現象かはわからないが、草の周りに波紋ができていた。 丁度夕暮れ。天売島と焼尻島をWでおさえる素晴らしいポイントだった。
生憎水平線近くは濃い雲で赤く焼けなかったが、晴れて見れただけでもヨシとしよう。
この後、道の駅の雰囲気をチェックしてから、コンビニで晩飯とビールを買って車のラゲッジスペースをテーブルに一杯やる。
カローラフィールダー
色々試したが、価格と居住性でコレが一番ベストだ
身長175cmの僕が縦にまっすぐ寝ることができる。
折りたたみチェアを持参して、丁度いいテーブルの高さになった。北海道クラッシックとセブイレのチーズタッカルビ セイコーマートのお惣菜をプラス
これはホントにいいつまみになる今日から3日間、このスペースが僕の寝床になる。
翌朝5時前に目を覚ますと、しっかり分厚い雲に覆われていた。
天売島行きのフェリー 羽幌nゆるキャラ『おろ坊』 天気予報も昼から豪雨になるとのこと。
なんの躊躇もなく、天売島へ渡るのを諦め宗谷エリアを回ることにした。
海岸沿いを走り、途中サロベツ原野、湿原をちょい寄りしながら稚内へ。
サロベツ原野 牛通行します! 土砂降りになったり、小雨になったりの繰り返しの道中、カラスが道路にすごい数で溜まっていたので減速しながら横切ると、昨晩にでも車に弾かれた鹿がつままれていた。
コレがおそろしい。普通に道路の真ん中で、あのサイズ感のものが横たわっていると流石にビックリする。
稚内にはいると雨はやんでくれた。
北海道の海岸沿いで見る手つかずのまま寂れて風化していった景色はたまらなく好きだ。
朽ち果てた。っていう感じ このまま日本海を北上してノシャップ岬へ
ほんとはすぐそこに利尻島見えるのに
何も見えん1写真を撮ってくれと頼まれた娘っ子。
岡山から来たんだって
日に焼けて真っ黒だった。まだ11時前、ご飯屋さんも空いてないので樺太資料館を見学し勉強してきた。
施設内にお風呂もあるのでココで小休止。複合施設 樺太の全容を調べ、樺太は島であるという事を立証した間宮林蔵
世界地図に間宮海峡の名を残した
冒険家というのはやっぱりすごい。
なにより、こんなお侍スタイルで極寒樺太に冒険行くなんてスゲーぜ!当時樺太で使われていたソビエトと日本の国境を越えて分けた石碑のレプリカ 樺太と本土を繋いだ電話線(電電公社寄贈) 展示してあった写真
こんな景色が見たいんじゃぁ!資料館で、めちゃくちゃカワイイ観光客であろう女の子がいたので、めっちゃ真剣な顔で見てまわった。
実際、サハリンはいつか行ってみたいと思っているので非常に興味はある。
大変勉強になった。「すいません」と店員さんに言えないで、ひたすら気づくのを待っている男性を見ながら、ちらし&かけ蕎麦セットを食す。
飯後に施設内にあるお風呂にはいりサッパリして上がると、さっきのカワイイ子の友人がいた。
カワイイ子のお風呂上がりに会えるんじゃないかと、レジ近くでフルーツオレを飲みながらフガフガしていたが、先も長いしフガ疲れしたので残念だが彼女とはお別れだ。
もう一生会うことはないだろう。
そうは思いながらも、車の中でナビの設定をしながら玄関を見てしまう卑しい自分が好きだ。
気がつくと、また雨が降ってきた。そしてめちゃくちゃ降ってきた。
土砂降りの中、もう50km走って最北端『宗谷岬』へ
サハリンが見えん! たまたま宗谷岬で給油したら、こんなものをくれた 手作りの御守りもくれた。
「嬉しいです!あがとござまーす!」
といいつつも、臭くないかチェックした。次は『クッチャロ湖』日本で北から2番目に位置する湖。ココもまたラムサール条約に登録されている湖、湿地帯である。
道中、中々いい感じの牧草ロール帯があった ラムサール条約とは、水鳥を食物連鎖の頂点とする生態系の湿地を守る目的で作られたものらしい。北海道ではそこいらでラムサール条約の文字を目にしてはいたが、ブログに書くこともあり、はじめてウィキペディアで調べた。
なんかどーでも良くなってきて、車から写真だけ撮った。 お次は、また湖で『朱鞠内湖』
朱鞠内湖 当時は日本最大の人工湖だったらしい。水力発電のダム湖だ。
ただ湖内に島があったり、いびつな形をしているため自然身がすごい。
釣りはやらないのだが、ココは日本最大の淡水魚『イトウ』が釣れるらしい。
検索するといっぱい出てくる
フィッシャーマンたちはよくこんなのが触れるもんだな〜
すごい長生きするから大きくなるらしい大きいものは2mにもなるというから怖いくらいだ。
ほんとはゆっくりと散歩をしたかったが雨が降っているのでサッサと退散した。
この辺りは道北エリアの中心に位置する。
どちらに抜けようか迷ったが、同村出身の幼馴染の旦那さんが士別町出身だと聞いていたので、話の話題に行ってみることにする。
ちなみに、『しべつ』と呼ぶ地名は北海道に2つあり、道北の『士別』、道東の『標津』。
区別するために、最後の屯田兵の村『士別』は、さむらい士別と呼ばれるらしい。
そういえば、朱鞠内湖から士別におりてくるとき『トヨタ試験センター』というものがあった。
そこは零下20℃以下の日が年間15日以上、積雪50cm以上の日が同2カ月以上、そして超高速テストのために直線が3km以上確保できるという条件を満たし、士別市の協力のもと1984年に出来上がったようだ。
色々と自分の目で見て回ると、本当に色々な発見があり勉強になる。
そしてスグにウィキペディアで検索して答えがだせるからすごい時代だ。
旭川から北に50km程度。町の中心に来ると予想以上に住宅も密集していてお店もある。
中々立派な町だった。
申し訳ないが、いい感じの寂れ方だ ここで大江戸を演出する必要があるのか せっかく来たし晩飯を何処で食べようかと同村の子にLINEをすると、最高だというジンギスカンの店を紹介してくれた。
どうやら士別はサフォーク種の羊肉の産地らしい
しかしお盆明けでこちらも休み。残念だがさんぱちラーメンで味噌を頂くことにする。
『花の友』
機会があれば行ってみたい結局味噌ラーメンを食す この辺で何店かやっているさんぱちラーメン
美味しかったです!今日はもうひとっ走り。サロマ湖まで160km行くことにした。
道中、西の空が紫に染まっていった。誰も車を止めてなんか見ないが、私にとっては貴重な晴れ間だったので路肩に寄せてシャッターを押した。
旭川あたりから北見方面は高速無料区間なのでお世話になる。
この区間の一般道は山合いの道になり、夜中は怖いのだ。
しかし高速も大雨が降り出し、一車線で途中からあおり運転を受けていたので必死に走りぬいた。途中に鹿の死体であろう物体を見たが避け切らずに乗り上げてしまった。ボンネットの下でガランガランって音がしたので骨でも跳ね飛ばしたのだろう。
真っ暗で灯りのない道をひた走りサロマ湖の道の駅に着く。
走行距離を見ると本日は600km。
2日目の工程 曇りのち雨、大雨の1日ではあったが有意義な1日だった
明日はサロマ湖から南に縦断し襟裳岬、苫小牧へと向かいます。
おやすみなさい。
という1日でございました。
仕事の合間に書いているので一週間かかりました(笑)
なんだかバタバタして、前回の個人ブログは7月11日。
最近ビッグなブログばっかり書いて手間がかかるので、ショートバージョンでも盛り込んでいこうかな〜
でっかい道!続きも近々!!