2025-11-10
- 琵琶湖一周190kmを歩き終えて
1年間トレーニングをして達成することができたビワイチ(琵琶湖一周190km)を終えて数週間。仕事も忙しくさせていただき、言葉に残す時間を後回しにしておりましたが、記憶の鮮度があるうちにゆっくりと思い返して自分の感じた次につながる記憶を書き留めておくことにします。
[練習/装備 記録]
【 琵琶湖一周190km 48時間以内に歩き切るために準備したこと 】
*トレーニング内容
週2回仕事終わりに10kmラン 。もしくはそれ以上を基本に体調がのらないときは5kmほど。
休日は30kmラン&ウォーク。もしくはそれ以上かそれと同等の時間を要する登山。基本どこに行くにも歩いて行った。
月に一回は50kmラン&ウォーク。
6月以降暑さで走ることが耐えられないときは自転車通勤往復30kmを週2回
9月以降は5週連続で65km、57km、50km、54km、32kmのトレーニング(いずれも日曜仕事終わりのままトレーニング開始)長時間活動し続けることへの耐久性を養うため。
雨の日や暑い日でも練習できるようにと半年間だけジムも入会したが、トレーニング日に雨が降ることが少なかったのと、室内で走り続けるストレスに耐えられずほとんど利用せず。筋トレは多少プランクをした程度。ランジを最初の頃はやったがめんどくさくてやめた。
*道具類
『 靴 』
今回はすべてアルトラの靴で挑んだ。ゼロドロップと言われる踵と前足部との間に高低差がないこと、足本来の形のままの靴型をしたランニングシューズ。これにより本来の足の筋肉を成長させ、怪我などのトラブルを予防できるように足の形をつくっていった。4足ほど買ったのでこれには金がかかった。二足はソールが削れてクッションがへたったので成仏した。
夏の間は厚さ5mmほどのサンダルで足の筋肉をつくった。[本番シューズ]アルトラのトーリン8
『 服 』
ウェアは山で使用しているものがあるのですべて利用したが、盛夏はそれでも汗で乾きがわるいことあったので超速乾のすごいかるいショートパンツ買った。太陽が出て風が吹いてれば10分もすれば乾くすぐれものだった。(動いてると汗をかきつづけるから乾燥が追いつかないんだけど)
暑さもあり、夏場はショートパンツで夜中から日中をとおして活動していたが、陽射しが強く汗をかいていたのもあり日焼け止めのUVが効果切れだったのか火傷のようになり毎週痒くてたまらなかった。
本番の10月半ば近くになるにつれ関東でも気温が下がり、それに合わせたウェアで調整。本番3日前には日中気温20度、夜間11度の予報が出た。吹きさらしになるため防寒対策と、日中との寒暖差に対応できる少しでも軽量のウェアと着回しを選ぶ。[本番ウェア]
インナー/ ミレー ドライナミックパンツ、ドライナミックシャツ(汗を吸い上げ2枚目のウェアに拡散する機能下着で汗冷え予防の最適解。今まで様々なインナーを試してきたが、冬の寒さにはこれが一番合っていると思う)
ミドルレイヤー/ モンベル ジオライン クールメッシュロングTシャツ(汗の吸い上げと拡散、日焼け対策、風が吹いた時の直接的な汗冷えを軽減)
ミドルレイヤー2/モンベル ウィックロンTシャツ(クールメッシュは肌着なので恥ずかしいのでもう一枚着ただけ。がっつり汗をかいてベショベショになると意外と乾かないのでいらなかった)
サポートレイヤー/ ミレー ポーラテックアルファダイレクト素材のパーカ(ポーラテック社の超通気で汗濡れを抑えロフトの高さで保温性を確保した軽量素材。何年も秋から冬の山でアウターやインナーとして使用している安心できる相棒)
アウター1/ティートンブロス ウインドリバーフーディ(風は直接通さないが空気は通すことでウェア内の熱のこもり、汗の乾燥を促す。保温性はほとんどない。撥水性あり。素材はパーテックスカンタムエア。かなりコンパクトに収納できるためポケットにも入る。すこし風が出てきた時など、しっかり着るのではなく、前側だけ袖を通して凌ぐだけで体感温度を下げずにキープできる)
アウター2/ ティートンブロス ツルギライトジャケット(こちらはより防風性があり防水性があるジャケット。同じく通気するため内部の熱、湿度は発散する。深夜の気温低下時に使用)
ソックス/ ダーンタフ厚手×4(汗濡れによる嵩潰れと靴擦れ予防のため 50kmごとに一足交換)
靴下補助/ ファイントラック ドライレイヤーインナーソックス(足でかいた汗を靴下側に移すソックス。これにより足はいつもサラサラ状態)
[サポートアイテム]
ザック/ ノースフェイス TRロケット(内容量に合わせて20Lまで拡張可能)ウェアを脱ぎ着した際もザック容量を可変できるタイプが背負い心地をキープできてよかった。
ヘッドバンド(アマゾンで3本で1000円。汗をかいても顔に垂れてこないので快適)
調光メガネ/JINS 調光レンズの入ったメガネは日中は陽射しをカバーし、夜は透明になるのでアウトドアに最適(可視調光レンズも持っているが、この時期の気温なら調光レンズでしっかり濃度が出るのでOK)
日焼け止め/ブッシュマン サンスクリーンスティック(サーファー御用達防水日焼け止め。スティック型で塗りやすく手も汚れない。UV効果もしっかり)
皮膚サポート/ガーニーグーとプロテクトJ1(双方とも皮膚保護クリームで多少成分が違い持続時間も違う。プロテクトJ1の方がサラサラしててすぐ乾くが持続時間は短い。とのことだが12時間以上平気な気がする。
はじめにガーニーグーで下処理後、60km、130kmでプロテクトJ1を追加塗布。足裏は一切の靴擦れなし。○袋と○門周辺は追いクリームをし忘れて途中で痛痒くて掻きまくったら更にヒリヒリした。)ヘッドライト/マイルスートン MS -1 エンデュランスモデル(夜通し使用できるヘッドライトそれほど種類がなく、トレラン選手が多数愛用しているものでUSB −Cで充電できるものを選択。事前に何度も使用したが、しっかりとした光量、操作性、安定性が確認できた。新月の真っ暗の田舎道でも充分足元は確保できる)
バッテリー/20000mAh(丸2日分のスマホ、ヘッドライト、スマートウォッチなどのバッテリー確保。最終的に半分ちょっと使用した)
エネルギージェル/マグオン×8 アミノザウルス×4 (内カフェイン含む 6個)
サポーター/CW-X ロングタイツ ニューハレテーピング (直前までサポートタイツを履くか迷い、結局履いていった。結果40km付近からのふくらはぎの攣りや怠さは筋肥大によりタイツの圧迫による症状だった。はじめからテーピング処理だけしておけばよかったという答えが今回わかってよかった。背中のテーピング、腰を起こすテーピングもはじめて試したが確実に効果を感じた。
その他/ 速乾タオル、軽量傘、ソフトフラスコ450ml×2、飴類20個ほど(塩飴、のど飴)、トイレットペーパー、汗拭きシート、アルミエマージェンシーシート、防水スタッフバックなど
【 回顧録 】
はじめてやる200kmの世界は想像がつかなかった。どんな精神状態になるのか。痛みが出てもやり切れるのか。諦めるという選択肢は出てくるのか。食事はちゃんととれるのか……
考えれば考えるほど不安で、前日の夜まで何を着て行くか、何を持って行くか最後まで迷っていた。
200kmのレースに出るわけじゃない。誰かと競う訳じゃない。自分だけの挑戦だとしても成功させたいという思いはしっかりとあった。200kmの旅に出るんだと気楽に考えたかったが逸る気持ちは抑えることは難しかった。始発で埼玉を出発して、スタート地点長浜城に着いたのは9時。準備運動をして朝9:30にスタートをした。
琵琶湖の北部をかるいジョグで進んだが、15kmほどで向かい風が強くなり走るのをやめた。急いでゴールを目指すより、怪我なく無駄な体力を消費しないよう進んだ方がいいのではと判断した。40km地点で脹脛のハリと疲労を感じ、ちょいちょい止まってはストレッチを繰り返した。
コンビニ駐車場隅で靴下を履き替えてたらおばあちゃんに声をかけられた。歩いてる人なんてはじめてみたって。
50kmまで歩みを進めていく中でも脹脛の痛みは引かない。風と寒さが出てきたのと一度しっかり休めば治るかもしれないと、蜘蛛の巣と虫の死骸だらけのバス停でアルミシートに包まって少し仮眠をした。
少したって数分でも寝れた気がしたので深夜0時に再スタート。
さらに10km進んだ白鬚神社近くのコンビニで休憩。やっぱり脹脛が気になるので少しゆっくり休憩した。なんか圧迫感が強くなってきたので履いていたタイツを脱いだ。一気に足の血流が良くなった感覚があった。琵琶湖の西側を南下していると右には比良山があり強い風が琵琶湖に向かって吹きおりてくる。とても寒い。湖西線と並行して歩いて高島を抜けて大津市に入るころ夜が明けた。
淡々と距離を稼いで進んでいたが、脹脛の痛みがおさまっていることに気づいた。脱いではじめてタイツの圧迫が強くなりすぎていたことに気付かされた。
曇り空だが陽がのぼり明るさを戻した琵琶湖はどこかまだ眠そうな雰囲気を纏っていたが、なんだかすごいやさしさを感じた。西側の琵琶湖もいいもんだと思った。好きなラーメン屋さんの前を通ったが早朝はやっていない。かわりにザックに入っていたバナナを口に入れた。スタートから24時間経ったころ琵琶湖大橋を通過した。ここで100kmだった。
大津市の中心部に近づくにつれ交通量は増え道も歩きづらくなった。
明るくなったので街の景色を見ながら歩けるのは気が紛れる。坂本に着くと明智光秀の城跡があった。ここで大きく寝そべってみたりした。
気がつくとさっき陽が昇ったばかりだと思っていたが11時をすぎていた。中華そばの文字が目につき休憩。繊細な出汁の醤油スープが胃にも身体にも沁みていく。ありがたい。大津に入ってからも長い。とりあえず琵琶湖の最南端を目指して歩くが中々つかない。たかが10kmだが歩くと2時間近くかかる。陽も傾きだし肌寒くなってきた3時ごろ、やっとビワイチのスタート地点に到着した。
あと70km。あきらめるつもりはないが、半分を過ぎてることが肩の荷を軽くした。
足りなくなりそうなのでエネルギージェルを買いにイオンに向かう。見えてるのに遠い。
琵琶湖大橋の南側。南湖と呼ばれるこのエリアはほとんど来たことがない。湖側は水草が生えてるかキャンプ場になってるか。夕方ごろ仕事終わりの人なのか沢山の人が釣りを楽しんでた。隙間時間でも釣りってしたいもんなんだな。
程なくして陽は沈み真っ暗になった。歩道はヘッドライトの明かりがないと見えないけど、帰宅の車が多く通るから寂しさはなかった。
イオンから15kmって書いてあった琵琶湖大橋から2時間半。あとゴールまで6、70kmかな?
コンビニで冷やし中華を買ってイートインで食べた。この辺りに小雨予報が出てきたので急いで北上することにした(急いでも歩きだから遅いんだけど)
守山から先はほんとに真っ暗だ。ひたすら歩いた。ほとんどなんの景色も見えないけどひたすら歩いた。
不思議と足が疲れたという感覚は一切なかったが、突然フッと気力がなくなる瞬間がある。完全にハンガーノックなんだ。道路に座り込んでエネルギージェルを吸い上げる。何時頃からか覚えてないが、ずっと気絶しながら歩いてた。縁石につまづいたり、ポールにぶつかったりを繰り返してた。大きな川を渡る橋だけは気をつけてたのを覚えてる。
2回目の夜を迎えて、風も強くまた冷え込んできた。コンビニで白湯とホッカイロを買って軒先で寒さを凌いで休憩。
再出発するときどっちの方角か来たかも忘れてしまい地図アプリで確認。頭が働いてないって恐ろしい。
ホッカイロをポケットに入れ寒さには対抗していたが、寒さの中でも眠いという症状は治らずうつらうつらと歩くことしかできなかった。深夜何時だったかは忘れたが、キロ12分くらいのペースがつづいていて、このままでは48時間ギリギリになってしまうと計算ができる距離まで近づいて来たのでもらったブーストエネルギージェルを飲む。
飲んで5分後には一気に眠気も冴え、明らかな覚醒を感じ前へ前へ進もうとするエネルギーが湧き上がってきた。カフェイン120も含んでいたがコカインも入ってるんじゃないかと思った。
怒涛の覚醒で歩きつづけていたが、「はい、終了」と言わんばかりにはっきりとブーストが終わったのがわかった。
しかしお陰で彦根城界隈まで来れた。あと20kmほど。
ドーピングの力は切れたがあとは気持ちで歩く。米原を過ぎた頃、黒から灰色の空に変わって来た。2回目の朝が来たのだ。長浜の湖岸は弧を描くようにカーブしている。米原からゴールの港はずっと見えてるけど中々着かない。着けないのがつらい。
あとちょっとの10kmも2時間近くかかる。
「あとちょっと、あとちょっと」
自分へ声かけた。最後だからとペースをあげることもなく、淡々と距離を縮めてく。
あとほんとにちょっとだと思ったとき頑張ったなって自分に言った
自分の脚にも頑張ったなって言った
この旅ではじめて涙を流した
5km、3km、1km…
あと数百メートルが待ち遠しかった
公園に着き、長浜城に一歩一歩進んでスタート地点に帰って来た
45時間43分
琵琶湖一周の旅はおわりました


琵琶湖一周して思います。
やってよかったな。と
一年間やってきて思います。
やってきてよかったと
この一年があったからゴールに帰って来れたんだと思います。
ここ数年色々やってきました。
すべてがいまに繋がってます。そのときは次のことをを考えなかったとしても、その経験があるからこそ次の何かのきっかけになっているものだと思います。
何かを成功させたとき、必ず自信になります。
失敗は怖いし不安もあります。多分どれだけ練習しても不安が完全に消えることは僕はありません。しかし、また課題を乗り越えたとき、今までの不安は塗り替えられ新しい課題として向き合えることができます。
200kmやりたかった理由は自分を知りたかったからです。
100km歩きました。海から富士山も登りました。富士山を何往復もしました。
そのとき何を感じるのか。身体はどうなっているのか。どうやれば乗り越えられるのか。
いつも想像します
今まで、止まらないほど涙を流すこともありました。呆気なく終わりを感じたときもありました。
それは努力に比例するのか、身体の疲労度に比例するのか、その挑戦に対する気持ちの度合いによって変わるのかわかりません。
人の感情はわからないものです
今回は48時間というリミットを設けました。
45時間台で到着しましたし、筋肉痛は多少の炎症こそあれど、怪我も靴づれもしていないのはすごいことだと思っています。
ただタイムを見ると最低限の結果でもあります。もっと頑張れたかもしれません。もっと長く走れるれる練習をすればよかったのかもしれません。でもそれはいつかの課題でいいと思います。やりたくなったらやります。今回は無事やり終えることができて、やってきたことは僕にとっては間違いではなかったということが知れてよかったです。お客さんからも、スタッフからも、SNSで知人からも知らない人からも応援いただきました。
ひとりでやってることだけど、繋がってるってやっぱり嬉しいことです
本当に心からおかげさんでした

新幹線で琵琶湖へ向かう 

スタート地点の長浜城 
2時間前に雨が上がったばかり。まだ雲はのこってる 
ペースはキロ8分ほどでジョグ 
竹生島が見えた 

向かい風がつよくなったから走るのをやめた 

今回のルートで一番標高が高いとこ(賤ヶ岳 奥琵琶湖) 
曇り空で肌寒いが風がいいのかウインドサーファーがたくさん 
コンビニで栄養補給。ここで30kmくらい。これから琵琶湖北部を西側へいく 
この辺にも集落がある 
奥琵琶湖はいい。静かな湖と山の景色をみんなにあじわってもらいたい。 
ビワイチサイクリストだろう 

山沿いを抜けるころ、ちょうど日が傾いてきた
計画通り
この頃からふくらはぎの痛みが気になり出した

マキノのコンビニでスープパスタでエネルギーを摂取。温かいスープで胃に負担をかけないようにする 
ふくらはぎの痛みが気になるがカリウムを含むジェルで緩和してみた。他に不調はない 

10kmほど歩いたが、少し休息をした方が足の痛みもひくのではと考え、謎の待避所で横になってみる 
虫の死骸と蜘蛛の巣だらけだが仕方ない。外は風であまりに寒いし地面からは冷気が入ってくる。アルミシートにくるまって横になる。機器類の充電も済ます 

2時間ほど休憩し、足が良くなったかわからないが先へ進む。風が強いのでしっかりと防寒体制でいく 
真っ暗の中何か見えたのでライトを照らすと白鷺が木で寝てた。 
高島の屋敷街に入った。はじめてきた 

白髭神社通過
やはりふくらはぎが気になるのでコンビニでゆっくりと食事をとる
休憩中もタイツの圧迫がわずらわしかったので思い切ってサポートタイツを脱いでみた。一気に足が楽になった
黙々と歩いてたら陽が登り始めた。まだ琵琶湖大橋にはたどりつかない 
ずっと湖西線の脇を歩く道だった 

すこしずつ琵琶湖沿いへ導かれ、湖岸の道へ出た
西から見る琵琶湖の日の出はとてもやわらかなやさしさがあった


琵琶湖大橋も越え歩いていると坂本城跡があった 
東屋があったので寝そべって伸びをした 
気がついたら11時なっていたので看板が気になり中華そばを食す。いまの体に塩分とやさしい醤油が最高にマッチした。 


もうすぐ琵琶湖の最南部 

ここがビワイチのスタート地点 

エネルギージェルがなくなりそうなので予備をゼビオに買いに来た 


南湖エリアの琵琶湖沿いはキャンプ場だらけ。すごくいい環境だ 

たぬきか? 
何度もふっとエネルギーが切れる瞬間がある。エネルギージェルを流し込む。相性が悪いと30分くらい胃酸が出続けるのがツライ 
やっと琵琶湖大橋東側 

あと60kmほどだろうか?
この先はヘッドライトを照らしたとこしか見えなかったので、ただただ前だけをみて歩いてた

15km毎にコンビニがあったので少し暖を取り栄養補給をしたが、眠気でまともにしっかり歩けなくなっていたのでカフェイン高配合ジェルを投与した。
明らかな覚醒があった

ついに長浜、米原の案内がでてきた 

少し空が灰色になったとき琵琶湖に出た
2回目の朝が来た
ここまできたかとおもった 

見えてるけど長い 

この足で歩いてきた 

そしてスタート地点に帰ってきた 

体調も悪くない。足も無傷だ。
よくやった
一度の試し履きできたが踵がすり減ってしまった。
まぁいいよ。これも記念だよ

スマートウォッチで獲得するアクティビティバッチ。はじめて100マイル越えの称号を手にした。いま思えばあと余計に10kmいけば200kmバッチも手に入ったかと思うと勿体無いことをした。 振り返りなが言葉に残すこの作業。今まで何をやってきたか。何を感じたのか。これから何をしたいのか。
現段階で200kmはもうやらなくていいかなと思っている。それは100マイル以上丸2日行動し続けるということの解決策の答えを知ったからだ。この先にあるのはタイムを縮める努力になる。それは現状まったく求めていない。1年間マラソンを含めてやってきたが全く好きになれなかった。きついとかどうこうではなく、その行為がしっくりこなかったのだ。ランナーズハイや風になる感覚。一度もあじわってない。トレーニングの想定が200km前提だっため速くてもキロ5〜6での速度でしか走ってなかったから風になれなかったのかはわからない。冬のうちにもう少しストライドを伸ばして速いテンポを試してみようとおもう。そしてタイムを縮める努力をしたいならどうしても競技性がでてきてします。全く求めていない。他者と共に向上していくことのメリットは重々理解しているが、己すら超えられるかわからない現状でその舞台に挑戦しようと思わない。求めてるのはそこじゃない。そこじゃないが、その方々の姿に憧れ自分自身の挑戦をつづけているのも事実だ。
長い道を身ひとつで歩ききってみたい。というのがいまの願望だが、やっぱり山がいい。という気持ちがわかった。
コンビニもある。逃げようと思えば電車もタクシーもある。そこに頼ればいいという考えがあったから食事も困ることなく歩くことができたが、生き延びるという危機感は煽られなかった。山にはそれがある。時折変わる空気感、匂いも温度も足場もいつだて変化するあのフィールドの世界観が自分にはむいてるんじゃないかといま思っている。熊は怖いけど…
1日に100km歩くというのはできることだが、ずっと続けていくのは非効率だ。長い距離をあるくというのは生物の原理に従い『食べて、寝て、歩く』ということの繰り返しさえすればどこまでもいけるんだと思う。あと大事なことはひとつ
健康であることが一番
人生以上に長い旅はない
生きている過程の中で、心身ともに健康でいられることへの努力は怠ってはならない









































































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