ふじみ野のメンズ美容室、男性のためのリラクゼーション理容室 川越、富士見市の方もぜひお越しください!

剱岳と木幡の記 前編

2026-9-8

  • 剱岳と木幡の記 前編
  • 剱岳は標高2999mの日本百名山である。私の生まれる遥か昔1907年7月13日に測量隊の生田信という人物が日本で初めて初登頂したと記録には残っているがその際、山頂には修験者が所有していたであろう錆びた鉄剣が見つかり実は平安時代に初登頂されていたことがわかったのである。

    その歴史を知るきっかけになったのが「劒岳 点の記」という映画で男のロマンを掻き立てる素晴らしい歴史と山岳信仰の詰まった山であることが知れたのである。

    その後、剱岳への憧れが強まり恐怖から興味へと変わり、いつの間にか車を剱岳へと出発させていた。まるで高校受験の試験会場に向かう溌剌とした学生のように。

    当日は受験勉強のせいか猛烈な眠さに襲われた。高速道路をゆらゆらと左右にブレながら運転していたから途中のサービスエリアで休憩しながら向かってたら到着がどんどん遅くなり黒部ダムに着いたのが13時半。山の受験官に激怒されてしまう時間だ。

    数ある文明時代の乗り物を駆使して立山エリアの登山口「室堂」に到着した。ここからは自らの足を信じて山を登っていく、まずは有名なテント場雷鳥沢キャンプ場が見えてきた。

    ここまできたらコンクリで親切に作られた遊歩道ともおさらば、本格的な登山道へと変わり急勾配な登りをひたすら進む。今回はテント泊装備なので20キロ近くある重さのザックを背負い今日の目的地「剱沢野営場」へと足をトボトボ進めさせる。スタートが遅れたので登ってるのは私しかいなかった、それはまるで大群からはぐれて1匹とり残された働きアリのように。

    これが大群からはぐれた働きアリの顔である

    さっきまでいた雷鳥沢キャンプ場だ。着実に標高を上げている。

    この息切れを繰り返す長い登りを進んでる途中で二人の親子と出会った。親子といっても父親が70代くらい娘が40代くらい、二人は会話をすることなく父親の10歩進んでは休むペースに娘は静かに寄り添っていた。挨拶をすると娘は笑顔で返してくれたが父親の顔は険しい表情でシワをくしゃくしゃにして口を半分開け一生懸命に呼吸をしてる、真夏の炎天下の中で休んでるカラスのように。心でお互い頑張りましょうと励まし合い私は先を急ぐことにした。

    そしてとうとう今日の目的地が見えてきた。剱沢野営場だ

    遅い時間から登り始めてなんとか日が暮れる前にテント場に着いたことで心がホッとした、お盆過ぎた時期だったからテント場は比較的空いていた。野営受付小屋の隣には大きな隕石のような岩がありそこで小屋の救助隊がハーネスを腰に付けてロープワークの訓練をしていた。あらためてこの剱岳という針山はいつ滑落事故が起きてもおかしくない難易度の高い山なんだと心で感じ私は唾をゴクリと飲み込んだ。

    私がいつも山でテントを張るときは目標の山がよく見えて、地面が平面、周りには人がいない場所である。トイレが近い方がいいという人もいるが山でのテント泊は基本的に暇でやることがないのでトイレに行って帰ってくる時間も散策ついでになるのである、周辺の雲の状況、風はあるか、気温の変化はあるか、テント泊する人々の過ごし方、そんな何気ない自然が私を癒してくれる。まるで山の神がここへ来たことを歓迎し自然界のパレードを披露するかのように。

    リスペクトしてる登山家、野口健氏の山でのおすすめ軽食「とらやの羊羹」である。

    あたりも薄暗くなり周囲のテントにポツポツを灯りがつき始めた頃、みんなバーナーを点火し食事の準備を始める。私もそれに続きバーナーを点火し火力を最大まで上げてクッカーでお湯を作る、気温も下界と比べるとかなり下がってきたから火の暖かさがありがたい。おそらくバーナーがなかった時代は原始的な方法で火を灯し準備に相当な時間がかかったであろう、いろんな意味で先人の登山家は超人である。

    夕食も食べ終わりゆっくりしてると夜19時を回った頃ふと意識が遠くなり眠ってしまった。昨日からしっかりとした睡眠をとっていなかったので無理もあるまい、剱岳と周辺の山には濃い雲がかかり本日のパレードの終演をつげるかのようだった。

    後半へ続く

    2 既にいいねされています。

Calendar

 
2026年9月
« 1月  
 123456
78910111213
14151617181920
21222324252627
282930 
OZAKI'S BLOG YOKOZUKA'S BLOG KOWATA'S BLOG

ページトップへ戻る