茨城と福島の旅 二日目
今日は福島 須賀川市から東を目指して南相馬市を目指すところからスタート
地方といえど朝の渋滞は混むため早めの出発。6時過ぎに移動を始めた
須賀川から南相馬まで110km
地図で言うとこのあたり。はじめて通る道、はじめて行く場所。
なんとなく通った道をなぞってみたがここの道は中々すごい。縮尺を広角にしてると見えなかったがうねりやカーブの連続プラス高低差のあるアップダウンが永遠続く。道路自体はキレイに舗装されていて走りやすいが真剣に走らないと田んぼに落ちちゃう。でもドライブ好きには結構いい道路だと思う
着いた。『かしまの一本松』
震災後によくテレビに映ってた、あの津波でも流されず一本残った強さと希望の象徴
どこにあるんだろうと辺りを見渡しても大きい松の木が見えない
引き継がれてたーーー!
ちゃんと読んでなくて引き継ぐの意味がわかんなかったけど、本人いなくなってたー
次の目的地は津波でほとんどが流された小学校跡
国道ではなく、できる限り海の近くを走りどんな場所なのかを知っていきたいと思う
そんな場所に、ここ 請戸(うけど)小学校はある
海鮮丼!
海も近いし海鮮か!とはならない…
これだろ、これ!
手揉の熟成多加水太縮れ麺!!
いっちゃん好きなやつ!加水された太めのちぢれ麺
ツルツルの平打ちがめっちゃ好きやねん!
何故?
こんなに席空いてんのに?カウンター他にも空いてんのに?
女性が隣に来るのは嫌ではない。が逆に怖くて顔も見れなかった。目を合わしたらツーフィンガーで目潰しでも喰らうんじゃないかと
いただきます🙏
嗚呼うまい。麺がうまい。スープもうまい。けどもうちょっとコクも欲しい。でもうまい。
いつも一瞬気になるけど調べたこともないラーメン器の吉2つで韓国の韓みたいなこの文字どういう意味なんだろ?中国人の被ってる帽子にもそういう文字描かれてるよな〜
今から国道6号を南下して茨城にいく
ここ浪江から双葉町、大熊町、富岡町を抜けて
浪江ではそんなに感じなかったが、双葉町、大熊町、富岡町は国道を走っているだけで人がいなくなった跡だけが残っているのがわかる
突然避難区域になり壊すこともできずそのまま風化していった建物が沢山残ってる。
原発だけが悪い訳じゃない。それはとても必要な技術だと思う。この町の人達もきっと恩恵は受けていたはずだ。何も起きなければ。
ここは震災の爪痕という括りではなく、現代の人間社会の充実と自然の力のあいだに弊害を生んだ例として、この先も世界が注目し続けるモデルケースとしてとても重要な場所だと思う
他人事のようにと思われるかもしれないが、他人なのです。いつ同じ思いをするかわからない他人なのです。
震災や原発について考え触れることは様々な答えがあるため正解はないと思う。ただ一個人としてそう思ってるという答えとして受け止めていただければ幸いです。差別なんてしませんがそう捉えられてしまったなら申し訳ないです。
ただ何かが起きたからこそ、また何かを起こしているというアクションの連続で世界も日本もここまできたのだという現実だけは変わらないと思っています。
そして、第二目的地はここ
湯楽の里 ひたち店
WEBで見た露天風呂の写真。
実際はドス黒い曇り空と灰色の海、冷たい雨が打ちつけるお風呂でした…
でも最高のサッパリできた〜
昨日はあたたかいところで寝かせてもらったが今日はちゃんと車中泊
銀マットに寝袋
今日も長い長い一日がおわる
明日は4時ごろ起きようか
お天道様には負けてられん
おやすみなさい💤
明日の予報は完全な晴れ☀️
ガッチリ決め込んでやるぜ❗️
次回作は『 信仰の山 筑波山 』というタイトルでお届けします
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